2013年1月18日金曜日

The Impression of Junju 晋州の旅

 大韓民国慶尚南道西部にある晋州市は1500年代に加藤清正率いる日本軍が攻めた場所としても知られ、「晋州城の戦い」として知られています。
 こじんまりとした都市ですので、どこでも公共交通手段かタクシーで気楽に行けます。
 あまり遠くまで散策する暇がなければ、晋州城とその周辺をぶらぶら散歩してみても結構楽しいです。
 地元のイベントには、「晋州南江流灯祭り」という毎年行われるお祭りがあります。
 晋州は何でもはっきりと分かれているようです。ファッションならファッション街に集まり、そこにはレストランやコーヒー屋などは一軒もありません。同様にレストランはレストラン街に集まり、他の店は一切ありません。
 宿となると、なぜか目立つところにはなくて、賑やかそうなところを三十分程歩いても全然見つかりませんでした。せっかく一軒見つけても、束草市より高い上に、部屋は全然悪いです。お風呂もなければ、インターネットもありません。シャワーのお湯の出が悪いし、ボディーソープもありません。さらに、電源コンセントもありません!
 悪夢が続きます。カギもありません。中でロックしかできません。チェーンロックはありません。 家具はいくつかありますが、引き出しなどはすべて飾りで、収納はゼロです。冷蔵庫にはサービスの水は置いてありますが、よく見ると、キャップのデザインは全然違います。リサイクルしたボトルに水を入れたようです。テレビもブラン管タイプです。別に韓国語以外のチャンネルもなかったので、どうでもよかったですが。
 実は、次の朝さらに歩いてみると、バス停と反対側の方にモーテル街があることに気が付きました。とはいっても、前日とまったオンボロのモーテルで別の客に、他のモーテルは空いていなかったのでここにしたと教えてくれた。よって、前日そのモーテル街に辿り着いたとしても泊まることはできませんでした。すべては、「晋州南江流灯祭り」があったからでした。
 因みに交通手段ですが、行はまず別の年に行ってから晋州にたどり着きましたが、帰りは高速バスを使いました。時間こそ4時間半位かかりましたが、運賃はソウルまで1万9千ウォンで、格安の旅になりました。






豚の足をタレで煮込んだチョッパルは大変美味しそう






泊まったホテルからのパノラマ
晋州城の東門
晋州城から見た南江(ナムガン)
晋州城から見た市街地
バス停。昼間の乗客はお年寄りが多い
お昼の豆腐チゲ
レストラン内の様子。皆楽しくマッコリと一緒に食事を頂いている

 [2]によると、晋州南江流燈祭の由来は以下の通りだそうです。
晋州南江流燈祭は、1592年の壬辰倭乱(文祿・慶長の役)の時、軍事通信用に風灯(提灯凧)を空に上げ、松明と共に南江に灯を流したことに由来しています。1592年日本の豊臣秀吉は小西行長などを先頭に立て、韓国を攻略しようとしました。当時晋州城を守っていた金時敏将軍は、3800名の兵士をもって日本軍3万名を退け、城を守ることに成功しました。戦いの最中に城の外にいた義兵など支援軍との通信用の手段として利用したのが、風灯・松明などの燈だったのです。燈は、倭軍の南江渡河を防止するための軍事戦術用の他にも、城外の家族に安否を伝えるための通信手段としても使われました。翌年の1593年に豊臣秀吉はまた晋州城攻撃を命令して、13万名の日本軍が晋州城を再び攻撃しました。この際晋州城は軍・官・民、合わせてわずか7万名に過ぎなかったのです。7万名全員は晋州城を守るために、最後までがんばりましたが、結局殉死してしまいました。その後晋州では、殉死した7万人の愛国忠節の魂をたたえるために流燈行事を行ってきました。このように晋州地域で長く続いてきた伝統流灯を継承保存するために、1949年から開天芸術祭の流灯行事として行なうようになり、2002年には文化観光部から地域特性化祝祭に指定されることによって、晋州南江流燈祭というタイトルで行われるようになりました。

参考リンク
[1] 文禄の役の戦闘地として有名な晋州城。現在は公園になっていて晋州きっての観光地。
[2] 晋州南江流灯祭り(慶南観光ガイド)

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