2012年10月29日月曜日

Seuol Fortress Trail 서울성곽 ソウル城郭を歩く

 朝鮮のお城は日本と少し違うのは、天守閣のような建物は存在しないことです。ソウル城郭は江戸城でいうと、「外郭」に相当します[10]-[14]。天守閣の代わりに、中国の皇帝のように、宮殿を建てさせます。それは、景福宮、昌徳宮などのことです。
 江戸城の外郭(土塁で造られ[14])はほとんど跡形もなく存在しませんが、ソウル城は頑丈な石で建てられたのと、ほとんど戦火の影響を受けなかったため、かなり形よく残っています。実は、あらゆる形で何かの戦争の役に立ったことは一度もありませんでした。
 ソウル城郭の歴史や構造などについては後記の引用文は十分詳細に記述されています。一方、ハイキングコースとしては知る人ぞ知る穴場です。特に常連に人気の高いのは北岳山コース(臥龍公園-彰義門)(所要時間約2時間)と、社稷壇-仁王山-彰義門コース(所要時間約2時間)です。スタートの社稷壇は鐘路文化体育センターの近くにあり、後者は実際のスタートよりも近いので、ソウル城郭の地図上では、コースの目印になっています。
 前者は身分証明書を持ってその場で申し込む必要があり、後者は24時間開放されています。両方とも標高3百メートル強の高低差があり、ほどよい運動量のあるハイキングコースであると同時に、沿路の景色もなかなか見応えがあります。
 臥龍公園から恵化門までのコース(所要時間約30分)は、一部市街地をあることになります。「Fortress Trail」の標識は見つけにくいときもあり、自分はしばらく迷走してしまいました。恵化門から漢城大入口駅を経由して続きの城壁にたどり着くと、東大門までは3番目人気のハイキングコース(所要時間約1時間)になります。人によっては一番目かもしれません。というのは、駱山(ナクサン)という125メートルの山を走破するからです。その駱山公園は「華麗なる遺産」や「グロリア」、「最高の愛」などのドラマのロケ地として広く知られています。韓流ファンの日本人はもちろん、地元の韓国人にも大変人気があります。
 東大門から奨忠体育館までのコース(所要時間約1時間)はほとんど市街地をあることになります。地図と標識をよく見ないと、推奨のコースから外れやすいです。
 次の奨忠体育館から崇礼門南大門ともよばれる)までのコースは一番時間がかかり、ほかのコースに負けないくらい人気があります。ただし、南山公園内にいるのは、ソウル城郭コースというより、南山公園そのものを楽しむ人はほとんどです。このコースの一つ重要なポイントは、優秀眺望所の「亭子」からゴルフ練習場にそっていくことです。その辺りには、なぜか「Fortress Trail」の標識がしばらくなくなり、迷いやすいです。
 崇礼門から敦儀門まで(所要時間約50分)はほぼすべて市街地になります。標識はあまり親切ではないので、地図と地形をよく見比べた方は無難です。
 敦儀門から鐘路文化体育センターまで(所要時間25分)は半分市街地で半分城壁になっています。市街地はさびしくて細い路地がたくさんあります。
 以上ざっくり紹介しても結構長くなってしまいますが、頑張れば一日で走破できるコースです。ゆっくりしたければ2日に分けて制覇することも割と簡単です。ただし、前提は道に迷うことがないことです。
 自分はスナップ写真をいたるところで撮ったりしましたので、あまり休憩を入れていなくても地図上で明記されている時間よりは長めにとりました。また諸都合で3回に分けてやっと一周できました。途中で迷うこともしばしばあり、間違った道を何回か往復することもありました。
 ソウル城郭の写真ギャラリーはまた第2弾に譲りたいですが、とにかく完走できて人生においてもまれに見ない充実感を味わえました。さまざまなタイミングでいろいろきれいな景色を見られるのも充実さを倍増させました。また、歴史の変遷に伴い、城壁の変化も見られて、昔から人類の高い技術力と人類歴史の長さに感激を覚えました。
 最後ですが、残念に思ったのは日本人による破壊といまだに(北朝鮮との)戦争中だと実感させるさまざまな事象です。
古地図で示されたソウル城郭[6]
ソウル城郭コースマップ(SEOUL NAVI)[1]
スタートと到着地点は「北岳山登山コース」

ソウル城郭と主な景色のマップ[8]
実際歩いてきた栄光の道。GPSによる足跡。
ところどころ「Fortress Trail」の標を見失ったが、およそ上記の地図通り歩いた
変な矢印は、使っているGPSのソフトウエアによるもので、特に意味がない
江戸城配置図(外郭)[13]

参考リンク
[1] ソウル城郭(臥龍公園-彰義門)(SEOUL NAVI)
[2] ソウルの城郭を歩く、パート3~北岳山ソウル城郭を歩いてみよう!(SEOUL NAVI)
[3] ソウル城郭~600年の時が息づく道-フォトギャラリー 韓国旅行(コネスト)
[4] (ソウル城郭) 北岳山登山コース(鐘路区オフィシャルHP)
[5] ソウルウォーキング大会コースマップ(英語)
[6] Seoul Fortress Wall of Bugaksan(英語のみ)
[7] ソウル城郭 南山ㆍ駱山トレッキングコース開通 (Visit Korea!)
[8] ソウル城郭六百年の時が息づく道(KONEST)。美しいフォトギャラリーは見られる
[9] 私のとっておき秘密登山コース(鐘路区オフィシャルHP)。社稷壇、仁王山、彰義門、ぺクサシル渓谷というハイキングコース。
[10] 江戸城 Map
[11] 江戸東京探訪シリーズ江戸城の面影(皇居)
[12] 江戸城本丸図
[13] 江戸城 (Wikipedia)
[14] 江戸城外郭
[15] 北岳山のする城郭紹介。韓国政府によるHP。北岳山のする城郭紹介。このページでは、臥龍公園-彰義門コースへの申し込み書をダウンロードできる。


 以下鐘路区オフィシャルHPにある韓国の観光情報リンクを引用しました。ソウル城郭以外の観光情報は豊富にあります。

観光スポット情報

  • 韓国観光公社ホームページ : http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/index.kto
    • 韓国観光公社では、旅行スポット、国際イベント、観光統計などの情報や観光マップを提供しています。韓国観光公社では、「1330番」観光案内電話サービスを提供しています。
  • 韓国文化観光総合サイト(What’s On Korea): http://japanese.whatsonkorea.com
    • “What’s On korea” ホームページでは、韓国の文化観光、テーマ紀行、宿泊施設、グルメ、ショッピング、文化、公演、スポーツなどに関する情報を提供しています。
  • ソウル市観光案内ホームページ(Seoul Travel Guide) : http://japanese.visitseoul.net/
    • このホームページでは、電子書籍のような形で手軽にソウル観光案内サービスをご利用いただけます。 近いうちに、もっと多彩な情報をアップロードする予定です。

ソウル旅行案内

  • ソウル市庁 : http://japanese.seoul.go.kr
    • ソウル市庁では、ソウル市の行政、統計、自治法および規定、行政資料、請願処理、ソウルの文化、観光、歴史に 関する情報を提供しています。
  • ソウル市中区の文化観光 : http://tour.junggu.seoul.kr/japanese/main.php
    • ソウル市中区の文化観光ホームページでは、南大門市場、韓屋村、 奬忠壇公園、徳寿宮(宮廷)などの観光地に ついてご紹介しています。また、ショッピング、文化空間、グルメ、観光商品などに関する情報も提供しています。
  • ソウル観光マップ : http://english.visitseoul.net/visit2007en/planningvisit/transportation/transportation.jsp?cid=58
    • ソウル観光マップホームページでは、各地域の住所および目的地の情報で地図を検索できます。
  • ソウルの歴史 / 文化 / 観光 : http://japanese.visitseoul.net/visit2008jp/main_index.do?method=main_view
    • ソウルの歴史 / 文化 / 観光ホームページでは、ソウルの有名なエリアや文化イベント、観光スポット、ショッピング、文化などに関する情報を提供します。

 Seoul NAVIには以下の通り、ソウル城郭に関する詳しい記述があります。
史跡第10号に指定されているソウル城壁のはじまりは朝鮮王朝時代に遡ります。1392年、朝鮮王朝の太祖が即位して1ヶ月も経たないうちに漢陽(ハニャン)への遷都計画を命じ、1395年に景福宮、宗廟、社稷壇を完成させると、すぐにソウル城郭工事を開始します。

北岳山(プガッサン)342m、駱山(ナクサン)125m、仁王山(イナンサン)338mにまたがる全長約18.2kmのソウル城郭。この膨大な工事を農閑期に終えるために、1396年1、2月の49日間、全国から11万8千人の農民を動員し、城郭の大部分を構築。そして秋の農閑期(8、9月)の49日間、再び79,000人余りの農民を動員、残りの部分(東大門エリア)を築くと同時に4大門、4小門を完成させます。このとき、農民たちは無報酬のうえ、食事も支給されないとあって、なんと食料持参で働かされたとか。

その27年後、世宗はソウル城郭を石城に改築するという大々的な補修・拡張工事を展開、1422年の冬の農閑期に全国から約32万人、2200人の技術者が動員され、完工に至ります。ちなみに、このときのソウルの人口は約10万人。つまり普段の3倍以上の人手が工事のために全国各地から大集合したというワケ。またこのときの死亡者も約870人に達したとか。こうして国をあげての大規模工事の結果、出来上がった城郭は今のソウル城郭の骨格を成しているそう。

ところで、この城郭を構築した目的はもともとお城を守るため。ならば、実際に防御機能を果たしていたかというと、実はあまり役に立たなかったそう。というのも、壬申倭乱(文禄慶長の役)のとき、城郭を越えて敵軍が攻めてきたため、宣祖が義州に播遷したとのことなんです。こうして城郭での戦いを免れたので、逆に戦乱による被害をあまり受けなかったとも。
そして1704年、粛宗が北漢山城まで延長させた城郭が、近代になってからの電車の敷設工事や植民地時代の意図的に崩す前の城郭です。現在、平地の城郭はすべて消え、山地の全長18.2km中10.5mのみ残っています。

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